浄土真宗本願寺派 玉栄寺

仏さまのおはなし

仏さまのおはなし

『人生の支えとなるもの』本願寺派布教使 玉栄寺 住職中島至心

こちらは扇子ではなく僧侶の使う「中啓」という物です。

中啓

中啓は要の部分に一本の留めが刺さっています。
留めが無いと、中啓はバラバラになってしまい使うことができません。

皆さまの人生の要は何ですか?お金、家族、友人、趣味、地位、人それぞれです。
どれも生きていく為には大切なものです。しかし、これらは失う縁が整えば、失ってしまうものばかりです。失った途端に嘆き、悲しみ、空しく感じることでしょう。どうやら私たちは、不確かな留めを人生の要として生いるようです。では、外れてしまうことなく留まり続ける人生の要とは何でしょうか?

親鸞聖人は 「本願力にあひぬれば 空しくすぐるひとぞなき」
阿弥陀さまこそ人生の要ですよ、とお示しくださいました。

阿弥陀さまは、「あなたはあなたのままでいいから、一度っきりの人生を精一杯生きていきなさい。どんなことがあっても私はあなたを見捨てません」と、私の「いのち」そのまんまを支えてくださいます。いつでも、励まして続けてくださいます。私が気付いていなくとも、すでに私の要となり、私を支えてくださっているのですね。
だから、安心して生きていけるのです。
阿弥陀さまがご一緒の人生です。

合 掌

コミュニケーション本願寺派布教使 玉栄寺 住職中島至心

合 掌

『このみち』金子みすゞ朗読 玉栄寺 中島至心 演奏 星光 江里口奏子

合 掌

『法名~あなたはかけがえのない仏の子~』本願寺派布教使 玉栄寺 住職中島至心

 中島至、釋至心と申します。至さん、至心さんと親しみをこめて名前を呼ばれると何だかあたたかいうれしい気持ちになります。名前とは、あなたがかけがえのない存在であることをあらわしています。そして、名前には「しあわせになってほしい」という親の願いが込められています。
 生きている時が俗名、死んでからが法名と考えられがちですが、そうではありません。法名とは、阿弥陀さまを親さまといただく身になった、かけがえのない仏の子の名であり、阿弥陀さまの願い(すべてのいのちを救い幸せにする)がかけられているのです。ですから、法名はお聴聞をして阿弥陀さまのみ教えをよろこんでいく浄土真宗では、生きている時にこそ、いただいて欲しい名前なのです。
 「阿弥陀さまの願いにかなう生き方をしていきます」と誓う大切な儀式を帰敬式といいます。受式者は、阿弥陀さま・親鸞さまの御前でおかみそりをし「釋○○」という二文字の法名を授かります。「釋(しゃく)」とは、仏教をお説きさったお釋迦さまの「釋」の一字です。浄土真宗では、俗世間の生活を捨てて出家し、仏門に入るという形はとりません。日常のくらしの中で、阿弥陀さまのみ教えを聞き、お念仏を称えることを大切にしています。法名を授かり、み教えを聞く中で、私の生き方をふりかえり、時には間違いに気づかされ、時には励まされながら、阿弥陀さまのお慈悲の中で、このいのちを精一杯生きていくことが出来るのです。
 法名をお持ちの皆さま、これから授かる皆さま、いただいた法名を日頃から名告ってみませんか。仏の子としての自覚が深まり、仏縁がもっとひろがっていくと思います。
 一生に一度の慶びと感謝の儀式、帰敬式。阿弥陀さまが「あなたはかけがえのない仏の子なんだよ」とよび続けてくださっています。さあ皆さん、帰敬式を受け、ご一緒にみ教えをよろこぶ人生をおくりましょう。

合 掌

『つながりの中で』本願寺派布教使 玉栄寺 住職中島至心

合 掌

『無条件の救い』本願寺派布教使 玉栄寺 住職中島至心

年に一度玉栄寺では、チャリティーライブを行っています。今年は、150人を超える満堂となりました。
参拝者から、なぜ入場無料なのか?と質問がありました。阿弥陀さまは、どのような私でも「そのまんまのあなたを救う」と働き続け、すべての‘いのち’をしあわせにすると誓われた仏さまです。
だから、玉栄寺では一切の条件をつけず、子どもからお年寄りまで、お金があっても、無くても、どなたでもお参りできますよ、とお答えしました。
いつも条件を付け、見返りばかりを求めて生きている、私の姿が知らされた瞬間でもありました。
阿弥陀さまの無条件の救いの中で生かされ、生きている私たちです。

これからも、どなたでもお参り出来るお寺であり続けたいと思います。

合 掌

『浄土への人生』本願寺派布教使 佐賀教区松浦組 源光寺 波多唯明

 私たちが暮らす社会では利便性や効率、快適さや速さを求め、不便なものや効率の悪いものをできるだけ減らそう、なくそうとしているように見えます。  また、何事も健康が基本、健康第一というのはよく言われることです。もちろんそれらのことによる恩恵は大きいものがありますが、はたしてそれだけでいいのか、このままでいいのか、考えさせられる出来事がありました。
 私には車椅子を利用している友人がいます。彼は病気によって足が不自由になり、生活には車椅子が欠かせません。そんな彼がある時こんなことを言いました。
 「僕は車椅子に乗るようになってから何年か過ぎた。もし今、薬や手術で足が治ると言われても、別にこのままでもいいかな、と思っている。確かに生活は不便だ。風呂もトイレも着替えも、出かける時も大変だ。でも病気になったおかげで出会えた人がいるし、病気になったおかげで見えてきた世界がある。今の生活は不便ではあるけれど不幸ではない」
 私はこの言葉に衝撃を受けました。いろいろな思いはあったでしょうが、病気が治らなくてもいいという考えは思いもよらなかったのです。そして私に不便と不幸はイコールではない。不便であることは不幸なことではないと教えてくれたのでした。
 私たちは誰もが歳を重ね老いていき、病気になりやがて死を迎えます。そうであるのに老病死は不幸だと、それらを見ないように、考えないようにして、できるだけ日常から遠ざけてはいないでしょうか。
 しかし、老病死が不幸なら私たちの人生は不幸へ向かう人生、不幸で終わる人生ということになってしまいます。
 私は「あなたのいのちを必ず浄土の仏として摂めとる」とはたらいてくださっている阿弥陀様の願いにであい、私のいのちは不幸に向かっているのではなく、仏様にならせていただく浄土への道を歩ませてもらっているのだと聞かせていただきました。
 老病死によって不幸にならない人生、浄土への道のりを阿弥陀様がご一緒くださいます。

南無阿弥陀佛

『学び』本願寺派布教使 玉栄寺 住職中島至心

「この金色の仏さまいくらすると?」
先日、こども会でこんな質問を受けました。びっくりして思わず、ずっこけてしまいました。経済中心の世の中になっているため、御本尊を指さして「いくら?」という質問がでたのでしょう。私はこう答えました。
「阿弥陀さまのことを無上尊って言うんだよ。この上もない尊いお方という意味で、尊いものは決してお金では買えないんだよ。ここにいるお友達は、お金では買えないでしょう。そのことが大人になっても分からなければ、いくら勉強ができて、いくらお金を稼いでも本当の幸せにはなれないよ。」
「じゃあ、なんで勉強するんですか?」
続けてドキっとする質問です。
「みんなは勉強して良い学校に行き、良い会社に入り良い収入を得るために勉強しているのかな。勉強はお金をもらうための手段なのかな?
じゃあ、ちょっと一緒に考えてみようか。
今みんなが使っているノートの紙は何からできているかな?
木だね。木が育つには太陽の光や、雨、大地など、自然の恵みが必要だね。
木を切って運ぶ人がいて、紙を作る人がいて、完成した紙でノートを作る人がいて…、このノートが出来上がるまでに自然や沢山の人が関わり、数えきれない“つながり”があることが分かるね。
学んでつながりを知ることから、世界が広がり、夢が生まれ、学ぶことの楽しさや生きる喜びが湧いてくるよ。」
とお話させて頂きました。
私たちは、勉強して知識を得ると自分が偉くなったような、何でも一人でできるような気にさえなってしまいます。そんな私を阿弥陀さまは常に、真実のはたらきに目覚めよ、と呼び続けてくださいます。阿弥陀さまのみ教えに出遇うと〝あたりまえ〟が〝おかげさま〟に転じられ、多くのつながりの中で、生かされているいのちであったと気付かされ、喜びと感謝の心が生まれます。
いのちのつながりが見えにくくなった現代社会だからこそ、阿弥陀さまのみ教えを通して、いのちを見つめる眼を育む学びをしていきたいものです。

合 掌

『お念珠』本願寺派布教使 玉栄寺 住職中島至心

赤、青、黄、様々な色の珠が並ぶ本堂で、子供達は珠の周りに集まりどんなお念珠を作ろうかと目を輝かせています。今日は子ども会のお念珠作りです。小さな穴に紐を通し悪戦苦闘しながら完成させたオリジナル念珠…こども達は満面の笑顔でお念珠に手を通し、南無阿弥陀佛と賑やかなお念仏の声が本堂に響きわたります。
一つとして同じものがない子供達のお念珠を見て、私なりにお味わいを頂いてみました。赤色の珠は赤い光を放ち、青色の珠は青い光を放ち、黄色の珠は黄色い光を放って、他の色に染まることなく、すべての珠が一つに調和してつながっています。小さな珠が私を支えてくれている“いのち”と頂くならば、お念珠の輪は私をとりまくつながりの輪。大きな珠を阿弥陀さまと味わっていくと「顔や形、性格はみんな違っていても、一人ひとりがそれぞれの“いのち”を精一杯、輝かせてくれよ。いつでも私がついているから、大丈夫だよ」と、願われている阿弥陀さまの大悲のお心が頂けます。
 又、小さな珠をすでに仏となられた懐かしい方々と味わうと、大きな珠の阿弥陀さまとともに、常に諸仏方が私を取り囲み、見守ってくださっていると頂けます。
親鸞聖人は、

南無阿弥陀佛をとなふれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
よろこびまもりたまふなり
(註釈版聖典576ページ)

と『浄土和讃』に詠われました。
お念珠を手に持つ時、阿弥陀さまの智慧と慈悲のはたらきの中にある自分であることに気付かされます。さあ今日も、お念珠に手を通し、ご恩報謝のお念仏を申しましょう。

合 掌

『人間って、なぁに?』本願寺派布教使 玉栄寺 住職中島至心

 人間ってなぁに? これは、当時4才の息子から受けた衝撃の質問でした。
 息子のお遊戯会で園児たちが「にんげんっていいな」という曲を歌いました。その日の晩「ねえねえ、お父さん。今日みんなで歌った にんげんっていいな。の“人間って、なぁに”」と質問されたのです。私は「來(息子)の事だよ」と答えました。「人間って僕のことだったのか…。」と息子は少し驚き、「じゃあお父さんは人間じゃないの?」と聞いてきました。私は慌てて「お父さんも人間だよ」と答えると、すると息子が「本当に? 本当にお父さんも人間なの」と目を丸くし、家族一同大笑いでした。
 私は息子の「本当に人間なの」という言葉が頭に残りました。それを知るためには、人間の心を映し出す鏡が必要なのです。親鸞さまは、その答えを阿弥陀さまのみ教えに求められました。
 例えば、自分にとって都合の良い人間は善人とほめるが、自分にとって都合の悪い人間は、悪人と批判します。自分のものさしでしか物事を見る事のできない私です。その心を映しだされた時、なんとも恥ずかしい私だったと気付かされます。
 親鸞さまは、阿弥陀さまのみ教えの鏡に映し出された我が身を厳しく見つめ続けられました。その鏡に映しだされた我が身の愚かさに深く悲しんでいかれたのです。そして、このような私こそを救わずにはおれないという阿弥陀さまの慈悲に目覚められたのです。
 み教えの鏡に映し出された我が身を絶えず省みて生きていく事、それが「本当の人間」の有り様ではないでしょうか。

合 掌

『世のなか安穏なれ』本願寺派布教使 藤円寺前住職 中島法昭

 数年まえに、真田幸村の城下町長野県上田市の郊外にあります美術館を尋ねました。『無言館』と名づけられた美術館には、太平洋戦争で亡くなられた戦没画学生の遺した作品が、300点展示されています。
 東京美術学校の学生は、70数年まえに、「お国のため」「天皇のため」と戦場へと駆り出されました。あと10分、あと5分でもこの絵を描き続けたい、と言って絵筆を握りしめました。「家族」「編みものをする婦人」「自画像」「裸婦」等の遺作品のなかに、三ヶ月前に結婚した妻を描いた絵がありました。その前で涙を流しておられた婦人の姿を思いだします。
 この美術館は窪島誠一郎さんによって建設されました。窪島さんは、全国各地を駆けめぐって集めた戦没画学生の遺作品を通して、自らの「戦後」を視つめ直そうとされたのです。その窪島さんの父親が、作家水上勉さんです。水上さんは、戦時中に親子が生きるために幼い窪島さんを他人に手渡しました。辛く悲しい親子の別れを体験された窪島さんが集めた遺作品は、ビートたけしが出演したTVドラマ『歸國(帰国)』の中にもでてきます。
 『無言館』をでた私は、親鸞聖人750回大遠忌法要のスローガン「世のなか安穏なれ」という文言を思い浮かべていました。もとより「安穏なれ」とは、平和でなくてはならないという意味です。念仏弾圧の嵐が吹きあれた建長年間、性信宛の手紙にでてくる親鸞聖人の言葉です。そして、この言葉を戦没画学生の心に引きよせてみますと、およそ次のことがいえると思います。自らの死を覚悟した彼らの心の奥底には、きっと戦争がなければ自由に絵を描けたはずだ、という思いがあったはずです。平和であって欲しいという無言の声が聞こえてきます。遺作品を照らしだすスポットライトは、そのような人々の悲痛な叫び声を聞きとられた阿弥陀如来の光明(智慧)ではないでしょうか。
 私たちは、親鸞聖人の言葉をわが身にひきよせて生きていきたいものです。

合 掌

『立ち止まって』本願寺派布教使 藤円寺前住職 中島法昭

およそ七〇年前のことです。ドイツナチス政権下で、何百万ともいわれるユダヤ人がアウシュヴィッツに代表される強制収容所におくりこまれ、ガス室で殺されました。既に、ご存知の通りです。
この残虐な行為に関わった現場の責任者がアイヒマンという人物です。彼は、戦後イスラエルで逮捕されました。やがて、彼の裁判が始まります。
アイヒマンは、裁判のなかでこのように語っています。
自分はただ上司からの「命令に従っただけで」(『イエルサレムのアイヒマン』)、ユダヤ人を殺したという意識は持っていないというのです。
ユダヤ人をまるで南京虫やしらみを退治するかのように、ガス室で殺したことに全く罪の意識を感じていないのです。唖然とします。
このような無責任なアイヒマンの発言を裁判所で傍聴していたハンナ・アーレントは、自らの著『イエルサレムのアイヒマン』の中で次のようなことを述べています。
アイヒマンに徹底的に欠けているのは、「他人の立場に立って考える能力」、即ち「想像力の欠如」だというのです。
 続けてこうもいっています。「実に多くの人々がアイヒマンに似ている」と言うのですから、背筋がぞっとします。
ユダヤ人をガス室で毒殺したアイヒマンも、日常はすごく平凡な顔をした市民の一人に過ぎません。先に述べましたように、「他人の立場に立って考える」ことができず、ただ上司の命令に従って行動するのです。このようなアイヒマンのタイプの人間は、街のどこにでもいるという訳ですから決して遠い昔話ではありません。他人事ではないのです。
以上述べてきました事を、立ち止まって考えてみたいものです。
およそ人間は縁次第で何をしでかすかわかりません。私自身がそうなのです。
『歎異抄』(第一三章)の「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」という一語が、他人の痛みに鈍感な私の胸にひびきます。

合 掌

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